生い立ちのお話 2023-09-04 18:26:23 みなさんこんにちは!顔が晴れて顔晴るがモットーすし処とし 店主森敏也です。もう少しですし処としを開業してから1年になります。一重に皆様だけでなく、見えない方々仲卸しさん、漁師さん運送屋さん、農業の方沢山の方達のおかげで今を楽しく過ごせています。心より感謝申し上げます。さて、今回は私の生い立ちについて知っている方も多くいらっしゃるとは思いますが少しずつ綴ってみようと思います。平成2年1990年9月23日昭和43年創業の寿司屋の次男坊としてこの世に生を享けました。母が命を懸けて産んでくれました。ありがとうございます。6歳までは千葉県の流山市で無邪気な悪戯っ子として育ちました。父は23歳で千葉県の流山市に寿司屋を独立開業し、30歳になる頃に祖父のお寿司屋さん埼玉県は三郷市にあるお寿司屋さんに戻りました。私ももちろん三郷市へ、小学校1年生になる頃には戸ヶ崎小学校という祖母も父も通った小学校へ通いました。当時の私はといえば、そうですね〜身体が弱かったです。目立ちたがりで悪戯っ子なのは変わりなかったのですが、全身アトピー持ち吸入器を手放せない喘息持ち健康のことを大人になってから勉強し始めて、思い当たる節は沢山ありました。そりゃなるよなぁーってところです。身体が弱かった私は兄と一緒に少年野球を始めました。野球をやらせてくれた両親に感謝ですね。部費やユニフォーム代など大人にならなければわからないお金って結構あります。ありがたいですよね。野球は6歳から18歳まで、学生時代はずっと続けました。野球が好きだったんです。ひとつの事に夢中になるとそれめがけてまっしぐら、干支は午年ですのでなんとなくわかりますかね、笑中学、高校と三郷市内の公立へ通い、高校を卒業した後は株式会社 福助 へ入社寿司屋になりたい‼︎そんな夢を持ち始めたのは小学校中学年の頃ですね。当時繁盛店だった実家の寿司屋で父が働く姿が本当に本当にかっこよく映りましたね。自分もあんなふうになりたい!そう思い始めてからは、大人になったら寿司屋になるから大好きな野球は高校までめいいっぱいやろう!と、子供ながらに決意し学生時代を、野球を楽しみました。今思えば、本当にかけがえのない経験、財産です。数あるスポーツの中でも野球と出逢えて本当によかった。心からそう思います。野球を通じて学んだことは社会に出てからも大いに活躍してくれました。縦社会、言葉遣い、立ち振る舞い行動、言動、態度、身だしなみ全て通ずるものがあります。友と同志と同じ熱量で過ごしたあの時間は何にも変え難いですね。青春って本当に素晴らしいです。次回は18歳、修行させていただいた時のお話をしたいと思います。足立区は北千住のお隣五反野駅より徒歩4分下町の旨い寿司屋すし処とし07031262923ご予約はInstagramのDMでも承っております。最後までお読み頂きありがとうございます!