生い立ちのお話

みなさんこんにちは!

顔が晴れて顔晴るがモットー

すし処とし 店主
森敏也です。

もう少しですし処としを
開業してから1年になります。

一重に皆様だけでなく、
見えない方々
仲卸しさん、漁師さん
運送屋さん、農業の方
沢山の方達のおかげで
今を楽しく過ごせています。

心より感謝申し上げます。


さて、
今回は私の生い立ちについて
知っている方も多く
いらっしゃるとは思いますが
少しずつ綴ってみようと思います。



平成2年
1990年9月23日

昭和43年創業の寿司屋の
次男坊としてこの世に生を享けました。

母が命を懸けて
産んでくれました。
ありがとうございます。

6歳までは千葉県の流山市で
無邪気な悪戯っ子として育ちました。

父は23歳で千葉県の流山市に
寿司屋を独立開業し、
30歳になる頃に
祖父のお寿司屋さん
埼玉県は三郷市にある
お寿司屋さんに戻りました。

私ももちろん三郷市へ、
小学校1年生になる頃には
戸ヶ崎小学校という祖母も父も
通った小学校へ通いました。

当時の私はといえば、
そうですね〜
身体が弱かったです。
目立ちたがりで悪戯っ子なのは
変わりなかったのですが、

全身アトピー持ち
吸入器を手放せない
喘息持ち

健康のことを大人になってから
勉強し始めて、
思い当たる節は沢山ありました。
そりゃなるよなぁーってところです。

身体が弱かった私は
兄と一緒に少年野球を始めました。

野球をやらせてくれた両親に
感謝ですね。
部費やユニフォーム代など
大人にならなければわからない
お金って結構あります。
ありがたいですよね。

野球は6歳から18歳まで、
学生時代はずっと続けました。
野球が好きだったんです。

ひとつの事に夢中になると
それめがけてまっしぐら、
干支は午年ですので
なんとなくわかりますかね、笑

中学、高校と三郷市内の
公立へ通い、
高校を卒業した後は
株式会社 福助 へ入社

寿司屋になりたい‼︎
そんな夢を持ち始めたのは
小学校中学年の頃ですね。

当時繁盛店だった実家の寿司屋で
父が働く姿が本当に本当に
かっこよく映りましたね。

自分もあんなふうになりたい!
そう思い始めてからは、

大人になったら寿司屋になるから
大好きな野球は高校まで
めいいっぱいやろう!
と、子供ながらに決意し
学生時代を、野球を楽しみました。

今思えば、本当にかけがえのない
経験、財産です。

数あるスポーツの中でも
野球と出逢えて本当によかった。

心からそう思います。

野球を通じて学んだことは
社会に出てからも大いに
活躍してくれました。
縦社会、言葉遣い、立ち振る舞い
行動、言動、態度、身だしなみ
全て通ずるものがあります。

友と同志と同じ熱量で
過ごしたあの時間は
何にも変え難いですね。

青春って本当に素晴らしいです。



次回は18歳、
修行させていただいた時の
お話をしたいと思います。




足立区は北千住のお隣
五反野駅より徒歩4分

下町の旨い寿司屋
すし処とし

07031262923
ご予約はInstagramのDMでも
承っております。

最後までお読み頂き
ありがとうございます!