新年初投稿

叶わぬ夢を求めて



私には大好きな祖母がいました。
物心つく前から頻繁に
泊まりに行き、
たくさんたくさん遊んでもらいました。

『僕がお寿司屋さんになったら
お寿司にぎってあげるからね!』

祖母は嬉しそうに楽しみだねって
いつも言ってくれていました。

ご存知の方も多いと思いますが
私は高校卒業後すぐに寮にはいり
職人としての人生をスタート

簡単に寿司を握れるように
なるわけもなく、
そこには修行が待ち構えています。

私がある程度寿司を握れるように
なった頃には、
祖母は老人ホームにはいっていました。

年始の実家の手伝いと
戸ヶ崎の香取神社のお祭りの時
年に2度帰省することがあったので
その時にホームに顔を出す程度でした。

その頃にはあまり会話をする、
というわけではなく、
にっこりと笑いかけてくれる
祖母がいました。

そんな祖母が昨年末に他界し
天国へ旅立ちました。

祖母が亡くなる日の朝、
母から電話があり

『ばぁちゃんが、危篤だって。』
喧嘩別れのようにして出てきた
実家からの突然の知らせに
戸惑いましたが、
早々に仕込みを終わらせ
車を走らせ病院へ。

祖母は生きて待っててくれました。
危篤というのに面会時間は15分、
その15分をめいいっぱい使って
沢山のありがとうを言いました。

沢山愛でてくれてありがとう。
母を産んでくれてありがとう。
三郷駅の線路まで手を繋いで
歩いてくれてありがとう。
自転車の後ろに乗っけてくれて
おでかけしてくれてありがとう。
数えきれないありがとうを
耳元でずっと伝えていました。

面会時間が終わり
店へ戻って営業準備している
その時に母から1本の電話。

『亡くなったよ』
母は私が祖母に会いに行ったことに
気づいていなかったので、
会いに行ってきたよと、
伝えたところ、涙声で
『待っててくれたんだね』と。

こぼれ落ちそうになる涙を堪えて
お店はオープン。

無事に営業を終えたその日の夜は
自宅で子供のように
泣いてしまいました。

12月に臨時休業は
葬儀のためでした。
笑顔で見送ろうと
心に決めていたので
笑顔で見送ることができました。


お店をやっている以上
あまり暗い話はしたくないなと
SNSではこのことには触れず
年は明けました。

先日の休みに
祖母が祖父と永久に
一緒にいれる場所へ
女将とお墓参りに。

そして昨日は祖母の誕生日、

この節目がくるまでは
ブログは書くのを止そうと

しばらく間は空いてしまいましたが

これから私の2024が始まります。

渦中は語るな、
これは僕が31歳の時に
学んだ大切なこと。
渦中を語れば愚痴になる。
弱音は全て終えてから
酒のあてに話せれば良い。

皆さま
今後とも宜しくお願い申し上げます。

すし処とし
店主 森敏也