新年初投稿 2024-02-16 13:15:56 叶わぬ夢を求めて私には大好きな祖母がいました。物心つく前から頻繁に泊まりに行き、たくさんたくさん遊んでもらいました。『僕がお寿司屋さんになったらお寿司にぎってあげるからね!』祖母は嬉しそうに楽しみだねっていつも言ってくれていました。ご存知の方も多いと思いますが私は高校卒業後すぐに寮にはいり職人としての人生をスタート簡単に寿司を握れるようになるわけもなく、そこには修行が待ち構えています。私がある程度寿司を握れるようになった頃には、祖母は老人ホームにはいっていました。年始の実家の手伝いと戸ヶ崎の香取神社のお祭りの時年に2度帰省することがあったのでその時にホームに顔を出す程度でした。その頃にはあまり会話をする、というわけではなく、にっこりと笑いかけてくれる祖母がいました。そんな祖母が昨年末に他界し天国へ旅立ちました。祖母が亡くなる日の朝、母から電話があり『ばぁちゃんが、危篤だって。』喧嘩別れのようにして出てきた実家からの突然の知らせに戸惑いましたが、早々に仕込みを終わらせ車を走らせ病院へ。祖母は生きて待っててくれました。危篤というのに面会時間は15分、その15分をめいいっぱい使って沢山のありがとうを言いました。沢山愛でてくれてありがとう。母を産んでくれてありがとう。三郷駅の線路まで手を繋いで歩いてくれてありがとう。自転車の後ろに乗っけてくれておでかけしてくれてありがとう。数えきれないありがとうを耳元でずっと伝えていました。面会時間が終わり店へ戻って営業準備しているその時に母から1本の電話。『亡くなったよ』母は私が祖母に会いに行ったことに気づいていなかったので、会いに行ってきたよと、伝えたところ、涙声で『待っててくれたんだね』と。こぼれ落ちそうになる涙を堪えてお店はオープン。無事に営業を終えたその日の夜は自宅で子供のように泣いてしまいました。12月に臨時休業は葬儀のためでした。笑顔で見送ろうと心に決めていたので笑顔で見送ることができました。お店をやっている以上あまり暗い話はしたくないなとSNSではこのことには触れず年は明けました。先日の休みに祖母が祖父と永久に一緒にいれる場所へ女将とお墓参りに。そして昨日は祖母の誕生日、この節目がくるまではブログは書くのを止そうとしばらく間は空いてしまいましたがこれから私の2024が始まります。渦中は語るな、これは僕が31歳の時に学んだ大切なこと。渦中を語れば愚痴になる。弱音は全て終えてから酒のあてに話せれば良い。皆さま今後とも宜しくお願い申し上げます。すし処とし店主 森敏也